堺をめぐる人々

53 堺と秀吉 1

今年の大河ドラマは「豊臣兄弟」、それにちなんで今年は堺と豊臣秀吉との関係について書き始めたいと思います。信長との関係は何度も触れてきたが(参照10,26,40)、大坂を本拠地とした秀吉は信長以上に堺とは関係が深いのです。 1582年6月に勃...
堺をめぐる人々

52 堺 春日大社と興福寺 2

前回に続いて春日大社&興福寺と堺の関係記録を見ていきたいと思います。興福寺に納める材木が堺から運ばれたことを前回記しましたが、この記録があるのは、「大乗院寺社雑事記」という応仁の乱前後の大乗院門跡尋尊の58年間にわたる日記です。尋尊は学者と...
堺人

51 堺 春日大社と興福寺 1

奈良公園の奥に鎮座する春日大社には、約2000基の石灯籠がありその数は全国一だそうです。先日紅葉を楽しみながら参道沿いに歩いていると苔むした石灯籠の間から鹿が顔を出してサービスよろしくポーズをとってくれました。鎌倉時代後半から始まったという...
戦国堺の街

50回を振り返る 「黄金の日々」の堺の街とは 

『探求 黄金の日々堺』への投稿も50回を迎えました。2024年の1月にスタートして1年11カ月、最初4カ月は月に3回投稿と頑張りましたが、それ以降は月2回ペースで続けてきました。それらを振り返り、「黄金の日日」の堺はどんな街だったのか改めて...
堺人

49 黄金の日日堺 港に沈んだ信仰心

最初の絵はモンタヌスというオランダ人が1669年に出版した「日本誌」で紹介されている堺の港です。モンタヌスは日本に来たことがありませんでしたが、イエズス会士の報告やオランダ使節の江戸参府紀行などをもとに書きました。この「日本誌」が当時画期的...
堺の祭

48 大小路 第52回堺まつりから

10月19日今年の堺まつりも大小路をメインに行われました。ふとん太鼓が揺れ、火縄銃が響き、踊りやストリートダンス、チアーリーディング、鼓笛隊がにぎやかに大小路を行き交い、多くの人がスマホを向けたり、食べ歩きを楽しんでいました。 下は、「堺市...
堺の街道

47 堺の熊野街道 熱き信仰の道

堺を通る街道については、西高野街道・紀州街道に関して触れてきました。今回は、熊野街道から当時の宗教事情をみていきたいと思います。西高野街道が高野山に参拝するための信仰の道として整備されたように、熊野街道もまた、熊野三山に至る信仰の道でした。...
堺人

46 黄金のお好み焼きとくるみ餅

前回、前々回と堺の「住と維」を取り上げたので今回は「食」を少し見ていきたいと思います。今や大阪のソールフードから全国区にまで広まったお好み焼きのルーツをご存じでしょうか?諸説ありますが、茶菓子として提供された「ふのやき」から進化したという説...
戦国堺の産業

45 堺の建て倒れ

京の着倒れ、大阪の食い倒れは今でもよく聞くフレーズです。江戸時代からこうした言い回しがあって各都市で何にお金をよく使うのかを言い表してきました。堺は、「建て倒れ」と言われていたそうです。豪商が多く、建物にお金をかける人が多かったからでしょう...
戦国堺の産業

44 堺と西陣織

「なれや知る 都は野辺の夕雲雀 あがるを見ても 落つる涙は」と詠まれた応仁の乱での京の都は、荒廃しました。西軍の陣の付近には京に都が置かれた頃から、機織り職人がまとまって暮らしていましたが、多くは乱を避け堺に避難しました。乱勃発から8年後、...