58 「豊臣兄弟!」の「堺の街」登場に寄せて

戦国堺の街
NHK【大河ドラマ豊臣兄弟!】第11回ダイジェストから

今年のNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、シリアスな部分と軽めの芝居の部分(結構笑いもとります)が適当に混ざり合っていて個人的には毎週楽しんで見ています。3月22日放送分では、豊臣兄弟(秀吉と秀長)が初めて堺の街にやってきました。目的は信長の指示で堺から矢銭(やせん 軍資金を棟別に請求したもの)2万貫(20億円くらいでしょうか)を徴収するためです。その時の堺の街の様子が上の写真です。歴史的には信長が足利義昭を奉じて上洛したのが1568年9月末、そして翌月には、堺へ矢銭の請求しています。ちょうどその時の堺の街を再現した模型(縮尺1/25)が大阪歴史博物館に展示されています。(参照2)

ドラマの堺の街のセットと博物館の模型、比べてどうでしょうか。石を置いた板屋根が続く家並み、町毎に治安のために設けられていた門もその奥に見えます。家並みから飛び出して見えるのは2階か3階建ての蔵でしょうか。蔵が浜辺に建っているのを示すためか船の帆のようなものも近くに見えます。かなり模型と似ているように感じます。ドラマでは、街の賑やかさをだすために人混みだけでなく、風流踊りや獅子舞、輸入されたインコや西洋鎧まで用意されていました。写真ではわかりませんが、つば広帽子にひだ襟の南蛮人ももちろんいます。街の用心棒として雇われたという設定でしょうか、二人の牢人者が板屋根から道路を見下ろしています。貿易港堺を表すように、東南アジア産のドラゴンフルーツをほうばりながら。わずか2,3分の街の映像に当時の堺の街をできるかぎり再現しようという考証と遊び心が入っていて感心しながら笑ってしまいました。

ドラマでは、堺に詳しい松永久秀(参照8)が豊臣兄弟を案内して、街の指針を決めていた会合衆と矢銭の交渉をするのですが、三好政権下で堺の代官をしていたと言われている久秀なら適役です。(6年前の大河「麒麟がくる」でも主人公の明智光秀は堺で松永久秀と出会う設定になっていました)ドラマで少し気になった点は、会合衆を「えごうしゅう」と言ってた点です。かつては「えごうしゅう」と言っていたのですが、現在は「かいごうしゅう」が主流となっています。(ドラマの後、堺の紹介の部分で「かいごうしゅう」とも言うというテロップは入っていました)これは、「えごうしゅう」という知識を持つ大多数の中年世代以降の視聴者に合わせたのでしょうか。

さて、会合衆の推していた三好三人衆が「本圀寺の変」で豊臣兄弟に敗れたところで22日の映像は終わりました。(三好三人衆は、四国から堺に上陸し、京まで進軍し本圀寺にいた足利義昭を攻撃した)さて、堺の会合衆たたちは、矢銭2万貫をどのように払うのでしょうか?今井宗久や天王寺屋宗及はもちろん、能登屋や鉄砲又(橘屋又三郎)など堺の有名商人たちを色々配役した「豊臣兄弟!」次回が楽しみです。

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