
左 宿屋町東2丁目
右 大仙公園内 ともに名称は身代わり地蔵尊
8月23,24日堺の色々なお寺や町内に置かれた地蔵の前で地蔵盆が行われました。地蔵盆は関西特有の行事ということですが、私も子どもの頃町角のお地蔵さんの前に置かれた縁台に腰かけて近所のおばさんが配ってくれるお菓子を待ちながら友達と遊んでいた思い出があります。23日堺の街を走ると色んな町内で地蔵盆をしていました。「昔

堺区石津町 茨黒地蔵尊
はなあ、この前にずらっと子どもの名前を入れた提灯を並べてたんやけどなぁ」とお地蔵さんの前で座っていたおばさんが寂しそうに言われました。お地蔵さんの前には大人たちはいますが、主役の子どもたちの姿はみあたりませんでした。地蔵盆は江戸時代から始まった風習で黄金の日々の頃の堺にはなかったものですが、堺には古いお地蔵さんは残っています。十輪院(堺区九間町東2)の地蔵は板碑ですが、1391年の銘がありました。

十輪院地蔵 板碑
現在は堺市博物館に保管されている善龍寺(北区長曾根町)のは馴染みのある立ち姿のお地蔵様、1335年に造られています。一番上にあげた家原寺の水かけ地蔵様は、1544年まさに黄金の日々に入ろうとした頃造られた物です。お地蔵様は、地獄と極楽の境に立ち、地獄へ行く人を救い極楽へ連れて行ってくれる仏だと言われています。平安の昔から世が乱れるにしたがい地蔵信仰は広がり、浄土信仰・道祖神信仰とも融合して街道や町角に置かれ、我々に最も近しい仏様になりました。戦国の頃には、極楽往生をまた子どもの健やかな成長を願いたくさんのお地蔵様が造られました。それらが引き継がれ、辻々にはたくさんお地蔵様が祀られていたと戦前の堺を知る人は言います。
十輪院の板碑のお地蔵様の左横には、写真のような小さなお地蔵様がたくさんいらっしゃいました。116体、それぞれ小さな赤いよだれかけをかけています。このお地蔵様は、昭和9年9月21日の室戸台風でなくなった小学生たちを供養したものです。室戸台風は死者・行方不明者あわせて3000人以上をだした大災害でしたが、堺でも400人以上の死者をだしました。その中で高潮による溺死や、強風による校舎倒壊でなくなった小学生が116名もいたのです。お地蔵様を載せた台座の裏には、亡くなった子どもたちの名前と子どもたちを守ってともに亡くなった2人の大人の名前が刻まれていました。朝8時に阪神間に再上陸した室戸台風は、休校処置がなく強風高潮の中を登校した子どもたちに襲い掛かりました。校舎が倒壊して39人の児童が亡くなった錦小学校に隣接する十輪院では、錦小学校だけではなく、この時堺で亡くなった
小学生の霊をお地蔵さまとしてお祀りしているのです。
地蔵盆の日にうかがった十輪院では、私もお菓子の詰め合わせをいただきました。何十年ぶりのことでしょう!

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