IZUMI RYO

堺の祭

43 大魚夜市

堺の南北のメインストリート大道沿いの和菓子屋が実家だった与謝野晶子は、子どもの頃(明治20年代かな)の住吉まつり(参照19)の思い出をこう綴っています。 海辺の方ではもう地車の太鼓が鳴っている。横町を通る人の足音が常の十倍程もする。子供の声...
戦国堺の産業

42 堺の漁業と住吉大社

戦国期の堺は貿易や商業だけではなく、工業の街でもあったことを繰り返しこのブログで書いてきました。(参照11,18,29,36)しかし、17世紀末にまとめられた左海鑑という地誌を見てみると就業人数が最も多い職業は漁師(左海鑑では猟師と表記)で...
堺をめぐる人々

41 医書大全と戦国期の医療

始めの写真は、「医書大全」という1518年(北条早雲が亡くなる前年)に堺で翻刻(古文書・古典籍・石碑などに残された古い時代の文字を読み取り、活字化すること)された医書です。翻刻したのは阿佐井野宗端という堺の商人です。婦人科にも精通していたと...
戦国堺の街

40 蘭奢待と会合衆

最初の写真、鳥の死骸のような物は、大阪歴史博物館で開催されている(8月24日まで)「正倉院 THE SHOW」で展示されていた天下の名香と称えられる蘭奢待のレプリカです。この展覧会ではその香り(破片を焚いた香り)を科学的に合成した香りを嗅ぐ...
戦国堺の産業

39 黄金の日々に至るまで 6 河内鋳物師

河内(丹南)鋳物師(いもじ)私には一つのイメージがあります。鎌倉幕府が元寇に揺れていた頃、竹内街道に大きな荷車、荷台には、緑青が浮く前の新しい十円玉のようなブロンズに輝く梵鐘が括り付けられています。まだ大小路の周りにしか建物がなかった堺の町...
戦国堺の街

38 開口(あぐち)神社と菅原神社

堺には昔からお寺がたくさんあります。(参照12堺の富はどこへ行った)それに比べ神社は数えるほどしかありません。大坂夏の陣で街の大部分が焼け、再建された後の調査ですが、17世紀中ごろお寺は186あったと記されています。(堺鑑・当時の人口5万人...
戦国堺の街

37 港の変遷 旧堺港の整備に寄せて

上の写真は旧堺港、平日の昼下がり、向かいの岸壁には白いクルーザーやヨットが係留されていますが、湾内は静寂に包まれていました。望遠鏡を持つ呂宋(るそん)助左衛門の像と小さな湾を隔てて16メートルの台座の上に立つ乙姫像がただ静かな海面を見下ろし...
戦国堺の産業

36 工業都市堺 鉄砲から自転車へ

戦国堺の街は、貿易で財をなした商人の街というイメージが強いですが、全国の大名や国衆・土豪たちに大量の鉄砲を供給した職人たちも多く住んでいました。(関連 11鉄砲から包丁へ)その鉄砲が戦の形を変え、資本力のある大名が多量の鉄砲を使い、周囲を従...
堺をめぐる人々

35 黄金の日々に至るまで 5 一休宗純その②

前回に引き続いて一休から話を始めたいと思います。八十八歳までの長寿を得た一休の肖像画は多数残されていますが、最も有名な物は上にあげた六十歳代の東京国立博物館蔵の物でしょう。伸びた髪、無精ひげ、ぎょろりとにらんでいるような目、アニメの一休さん...
堺をめぐる人々

34 「黄金の日々」に至るまで 4 一休宗純その①

一休さんと言えばとんち好きの小僧という愛らしいイメージですが、これは昭和50年から7年近く続いたアニメの影響です。このアニメは海外にも輸出され以前は世界で最も有名な日本人とも言われていました。 一休は、弟子の書いた年譜によると応仁の乱を挟ん...