IZUMI RYO

堺人

26 津田宗及と織田信長

津田宗及は堺の豪商、天王寺屋の屋号で堺の会合衆(かいごうしゅう)として街の指針を決めていた人物です。また茶人として信長・秀吉に仕え、親子三代にわたって茶会の記録を残しました。(参照:5 華麗なる交遊録:天王寺屋会記)今回は、宗及が信長の屋敷...
戦国堺の産業

25 銭・・・堺出土の摸鋳銭

最近読んだ書籍で心に残った文を最初に紹介したいと思います。 これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。       サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ 筆者は、対立していたキリスト教徒とイスラ...
戦国堺の産業

24 堺祭に見た火縄銃浪漫

毎年10月の第3日曜日に開催される堺祭、今年も南海高野線の堺東駅と南海本線の堺駅を東西に結ぶ大小路をメイン会場にして開催されました。以前にこのブログでも書きましたが、10世紀頃から堺の街はこの大小路を中心に発展していったのでイベントの舞台と...
戦国堺の街

23 自然災害と戦国堺

海恋し潮の遠鳴りかぞへつつ 少女(おとめ)となりし父母の家 上の短歌を詠んだのは堺出身の与謝野晶子です。与謝野晶子の実家(和菓子屋)は、大道沿いの甲斐町にありました。埋め立てで海が遠のいた今では望むべきもありませんが、与謝野晶子の少女の頃は...
戦国堺の街

22 環濠堺の地名から 2 住んでいた人を想う 

戎之町(えびすのちょう) 環濠堺の真ん中を東西に分ける大小路の北側に戎之町はあります。戎様の石像が町名の由来と言われています。豊臣秀吉の頃ここに住んでいたと言われているのが南蛮貿易で財をなしたという納屋(呂宋 るそん)助左衛門です。1978...
戦国堺の街

21 環濠堺の地名から 1

かつての堺は周りを濠(幅10m 深さ2~3m)に囲まれた環濠都市でした。(参照3 戦国堺は土の中 )信長が上洛して堺に圧力をかけた頃(1569年)には一部の濠は二重になっていました。(10 戦国堺をめぐる人々3:織田信長 参照)しっかりと濠...
戦国堺の街

20 紀州街道と堺の町名

紀州街道は、江戸時代、大坂の高麗橋から和歌山城下の京橋を結び大阪湾沿岸を通る17里4町(約67㎞)の街道です。江戸中期より紀州徳川家の参勤交代の道として整備されたと言われています。もちろんそれ以前から多くの人や荷物が行き交う街道で、堺の街を...
堺の祭

19 住𠮷祭2024

8月1日、2024年の住吉祭は、酷暑の中おこなわれました。晴れた空、肌に重い日の光、大阪で最も重いという住吉大社の大神輿は担ぎ手たちの肩に食い込み、痛みと汗をふきださせます。それでも神輿行列の最後、大阪から堺にかかる大和橋の上で「ヨイサー ...
戦国堺の産業

18 堺の変容 戦国から江戸へ

先日堺ユネスコ協会が主催した「堺の伝統産業を体験する」というイベントに参加しました。三味線・お茶・お香という堺に縁のある物を扱っている堺の老舗の代表の方々のお話とともに三味線に触ったり、冷たい抹茶をいただいたり、お香の型抜きしたりできるイベ...
戦国堺の街

17 住吉祭礼図屏風から堺の街をのぞいてみると

住吉祭礼図屛風という堺市指定の有形文化財があります。上は、その屏風から仮装行列の部分を切り取ってみました。堺の街が上に描かれ、海岸沿いを南蛮人や母衣武者に仮装した人たちが行進しています。海に舟をだして見物している人たちもいますし、街中には桟...