IZUMI RYO

堺人

13 顕本寺と墓所にする二人

前回のブログで妙國寺を取り上げたので、今回は同じ日蓮宗の顕本寺を取り上げたいと思います。顕本寺は、応仁の乱が起こる前、堺の商人たちが寄進して堺の中心部に創建されました。妙國寺ができる111年前のことです。動乱の戦国期、塔頭(本寺の中に子寺)...
essay

12 堺の富はどこへ行った 泉南仏国

「泉南仏国(せんなんぶっこく)」という言葉があります。中国の福建省の泉州(中世海上貿易の中心地)で仏教が盛んだったことをうらやんだ禅僧が、堺のお寺が多いことを表現するのに借用したとか。 遣明船の発着や琉球貿易、鉄砲の生産と販売、室町から戦国...
戦国堺の産業

11 鉄砲から包丁へ 堺の伝統工芸 

戦国期の騒乱の中で生まれた鉄砲の生産、堺の鉄砲は信長という勝ち馬に乗り、一大産業に成長していきました。大量の鉄砲を生産する必要から、筒を鍛造する職人、その筒を付ける台木を削る職人、からくりとよばれる発射に必要な火ぶたや火皿、バネや火縄をはさ...
堺をめぐる人々

10 戦国堺をめぐる人々3:織田信長

信長が初めて堺を訪れたのは26歳(かぞえ年)の時、桶狭間の合戦の1年前です。信長の行状を記した資料に信長公記(信長の家来が書いた記録です)がありますが、そこには京で将軍に謁見する晴れの舞台でもあるので、信長も家来80人もみな、金銀の箔を貼っ...
戦国堺の産業

9 菜の花と堺

はてもなく菜の花つづく宵月夜母がうまれし国美しき 堺生まれの歌人与謝野晶子の短歌です。晶子は、はてもない菜の花をどこで見たのでしょう?私は、晶子の菜の花の原風景は、旧堺の北東に隣接していた遠里小野(おりおの)ではないかと想像しています。 遠...
堺をめぐる人々

8 戦国堺をめぐる人々2:松永久秀

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の始めに明智光秀が松永久秀に堺で出会い、求めていた鉄砲を譲られるシーンがありました。この出会いはフィクションですが、二人は実際深い関係を持つことになります。場所が堺であったこと、鉄砲が介在したことなど二人...
戦国堺の産業

7 堺と鉄砲 (祝 鉄砲鍛冶屋敷オープン)

戦国期の堺の最大の製品で商品は何かと聞かれたら間違いなく鉄砲でしょう。戦国末期、戦の勝敗を左右する鉄砲は、二カ所で集中的に生産・販売されました。近江・国友村と堺です。二つの拠点を押さえた信長は、天下統一に向けた武力を持つことができたのです。...
堺をめぐる人々

6 戦国堺をめぐる人々1: 三好長慶

堺に深い縁を持つ武将を見ていきたいと思います。最近、信長に先立つ『最初の天下人』と言われるようになり再評価されつつある三好長慶に触れてみようと思います。 長慶は、1522年三好元長の嫡男として阿波の国で生まれました。千利休と同年の生まれです...
茶の湯の心

5 華麗なる交遊録:天王寺屋会記

天王寺屋は、戦国堺を代表する豪商です。堺の市政の舵取りをしたといわれる会合衆(かいごうしゅう 10名いたといわれる)でもあったと言われています。津田姓を名乗り、その中でも宗及(そうぎゅう)は、信長・秀吉にも茶頭(ちゃじゅう)として仕えました...
戦国堺の産業

4 潮湯浴の堺

堺の街はいつごろできたのでしょうか?平安時代の貴族の歌集に以下のような和歌の題が書かれています。堺の地名の初見といわれています。 九月ばかりさかひといふ所にしほゆあみにおはしたりけるにひめきみの御もとに  百人一首にも歌が残るこの貴族は、道...