11 鉄砲から包丁へ 堺の伝統工芸 

戦国堺の産業
2024堺刃物まつりにて 古式鍛錬の実演

戦国期の騒乱の中で生まれた鉄砲の生産、堺の鉄砲は信長という勝ち馬に乗り、一大産業に成長していきました。大量の鉄砲を生産する必要から、筒を鍛造する職人、その筒を付ける台木を削る職人、からくりとよばれる発射に必要な火ぶたや火皿、バネや火縄をはさむ火ばさみ等の機関部を作る職人と分業システムによって堺の鉄砲は生産されていました。戦国堺というと商人の町というイメージが強いですが、手工業に従事する人もたくさんいたと考えられています。きっと当時は堺の町中でトンチンカンと槌を打つ音が響いていたことでしょう。(頓珍漢の語源は鍛冶の槌を打つ響きからきているそうです)

時は流れ平和な時代に入ると当然ですが、鉄砲の需要は減少していきます。明治に入る頃には堺に十軒の鉄砲鍛冶が残っていたといわれますが、戦国期と比べるとその規模も従事する人の数も大幅に縮小してしまいました。鉄砲生産に携わっていた多くの職人たちはどういう道を歩んだのでしょう。

現在料理のプロが購入する包丁の90%近くが、堺で生産された物だそうです。堺の包丁作りの特色は鍛冶・刃付け・柄付けの分業制です。鉄砲作りで培われた生産様式が引き継がれたのでしょうか、堺の包丁は秀吉の時代にたばこの葉を刻む煙草包丁(それまでは輸入品だったと言われています)の生産を始めたのをきっかけに大いに生産を伸ばしました。また17世紀初めごろ出歯包丁が堺で発明され、魚をおろすのにとても効率がいいことから全国に拡がりました。分業システムによる専門分野の深い堀下げが新しいイノベーションを起こしたのです。

2024 堺刃物まつりにて 包丁を研ぐ 分業の一つ刃付け

堺市堺区に入口の上に大きな出刃包丁を飾った堺伝匠館というミュージアムがあります。(刃物だけでなく他の伝統工芸品も展示・販売されています)2階に上がると色々な包丁が展示されていてこんなにも包丁には種類があるのかと驚きました。伝統工芸といえば、匠の技を伝承していくというイメージが私には強かったのですが、「堺打刃物」を調べてみて、当たり前の事に改めて気づきました。匠の技を継承していくためには、その職人がその技で生活できなければならないということです。作り出した工芸品が生活できる程に売れなければその仕事を継続していくことは難しい。そのために昔から続いてきた技術をもとに、その時代・その土地のニーズを拾い上げ、それを形にしてきたのでしょう。色々な形・大きさの包丁たちが、先人のそうした努力・創意工夫を表しているように感じました。

ウナギをさく包丁でもこれだけの種類 堺伝匠館

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