15 堺の街道1 西高野街道

堺の街道
真っすぐに伸びる西高野街道 辻には十二里石と地蔵堂 東区関茶屋

戦国堺には、海外から、全国各地から色々な物が集まってきました。また工業都市としての顔をもっていましたから堺で生産された物もたくさんありました。物を集めるだけでは商売になりません。堺の街で売りさばかれた物もありましたが、ある物は日本各地に運ばれ、またある物は海外に輸出されました。物を運ぶための道、堺には代表的な街

西高野街道と竹内街道の起点 大小路と大道筋(紀州街道)の交差点 以前は清明辻と呼ばれた

道が五つありました。堺市は旧街道に道標をいくつも設置し、迷わず歩けるようにしています。今回は、西高野街道を歩きたいと思います。

西高野街道は、堺の中心を東西に走る大小路(摂津と和泉の国の境 堺の地名の起こりの道)と南北に街を貫く大道筋(紀州街道)の交わったところからスタートします。大小路を西に進んでいくと、右手に市役所が見えてきます。戦国時代には当時には珍しい3階建ての建物もあったという堺の伝統を受けての高層ビル、最上階の21階は展望ロビーになっているので堺の街を上から眺めるには最適です。

高野山女人堂までの距離を示す十三里石 堺区榎元町

南海高野線を渡り西に歩を進めると、石碑と地蔵堂が見えてきました。石碑には、「高野山女人堂江十三里」と記されています。幕末現在の大阪狭山市の二人の農民が発起人となって、ここから高野山までほぼ一里(約4キロ)ごとに御影石の石碑を建てたとのこと。西高野街道沿いに13本の石碑は今も全て残っています。西高野街道は、商品流通だけでなく、信仰の道でもありました。

十三里石から少し行くと竹内街道と分岐します。左の写真のように分岐を示す道標が建てられています。堺市の旧街

街道の分岐点     堺区榎元町

道を示す本気度が読み取れます。竹内街道は、松原市・羽曳野市を横断し、二上山の南を越えて、飛鳥の旧都に伸びています。

西高野街道は幅6メートルほどでセンターラインも引かれていませんが、それほど車の通行は多くなく、歩きやすい道です。そしてうれしいことに所々に古い町並みが残されています。地下鉄御堂筋線の中百舌鳥駅の近くにも、戦国

百舌鳥の楠(大阪府指定天然記念物)と筒井家の長屋門

大名の筒井順慶の子孫、筒井家の大きな屋敷が残っています。その門前には樹齢千年という巨大な楠の木が空を隠すように葉を繁らせていました。

西高野街道は、河内長野から紀見峠を越えて高野山まで伸びています。一里ごとの石碑もあり、立派な門と長い土塀が続く街並みもあり歩いていて楽しい道ですが、今日の街道散歩は街道沿いにある素敵なお店で終わらせたいと思います。

旧街道に溶け込んだ       「やまつ辻田」の入口

十三里石から7キロあまり、明治から続く老舗の七味屋さん「やまつ辻田」。戦国時代に伝わった唐辛子、明治にはこの店の付近一帯が赤く染まるほどたくさん栽培されていたそうです。外国産の唐辛子が幅を利かすようになっても、店主の辻田さんは古くからの品種にこだわり栽培を続けられました。そして日本に唯一残る純系品種として『堺鷹の爪』が

大阪府からなにわの伝統野菜に認証されたそうです。辛い物好きの私も柚七味を購入し、さっそく焼き鳥にかけてみ

やまつ辻田の柚七味 袋の表面に「西高野街道から」の文字

ました。柚の香りと適度な辛さの刺激、スーパーの焼き鳥も最高の酒のあてになったのでした。

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