17 住吉祭礼図屏風から堺の街をのぞいてみると

戦国堺の街
住吉祭礼図屏風 仮装行列の様子 堺市博物館蔵

住吉祭礼図屛風という堺市指定の有形文化財があります。上は、その屏風から仮装行列の部分を切り取ってみました。堺の街が上に描かれ、海岸沿いを南蛮人や母衣武者に仮装した人たちが行進しています。海に舟をだして見物している人たちもいますし、街中には桟敷が設けられていてたくさんの人たちが座って見物しています。お弁当のような物を届けている人もいます。海岸近くにあったという倉庫も瓦葺三階建てのりっぱなものが描かれています。屏風は、六面の物が対になっています。(六曲一双と言うそうです)左の屏風には住吉大社から出る祭りの行列の様子が描かれ、右には堺の街を行進する仮装行列が描かれています。(堺市のHPから全体を見てください)17世紀前半に作成されたと推定される屏風から、堺の街をのぞいてみましょう。

北の木戸門付近の様子

住吉大社から続く紀州街道が堺の街に入る木戸門から人々が祭りの行列を見ています。(この当時住吉大社と堺の間に大和川はありませんでした)堺の街を囲む環濠には橋が架けられています。何を商っているのかよくわかりませんが、見世棚を軒前に出した商店も見えます。看板代わりでしょうか家紋(?)を染めたのれんのようなものが棚の横につるされています。

堺の商店街

こちらは堺の街中の商店街の様子です。左側の店は黒い表紙の書物を並べています。戦国期から桃山期にかけて堺本といわれる出版が堺で盛んになったといわれています。堺の豪商たちがお金をだして木版を作り印刷したとのこと。論語や医学書など世のため人のためにひと肌ぬいだ篤志家がいたのです。三叉路を曲がったところには「きくや」というのれんも見えますが、そこから出てきたのでしょうか、真っ白な小袖を着た女性が長い布を持っていますので、布を扱っている店かもしれません。それにしても屏風に描かれている女性たちの小袖は長くゆったりとして細い帯で止めています。この当時すそが長い小袖は裕福な身分のあかしだそうですから、富豪のおかみさんたちが祭り見物にくりだしていたのでしょうか。

さてこの屏風に描かれた祭をイエズス会の宣教師も見ていました。

七月の二十九日、市民は大明神と称する人間のために祭礼を行う。中略 まず第一に、馬に乗り、太刀を手にした偶像が現れ、その後から弓とえびらを携えた小姓一人が続き、鷹を手にした別の小姓が馬に乗って従う。この後、馬上および徒歩の人が多数現れ、・・・各自が武器を持ち、歌い踊りながら歩いていき、千歳楽、万歳楽と唱える。  一五六一年八月十七日付、ガスパル・ヴィレラ師が日本の堺の市より、インドのイエズス会の修道士らに宛てた書簡

住吉の神が堺に渡るという記録は11世紀の住吉大社の記録にあるそうなので、宣教師が見た当時この祭りは、少なくとも五百年以上の歴史があったことになります。それからさらに463年たった今年八月一日に行われる住吉祭はどんなものか、このブログでとりあげたいと思っています。

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