最近読んだ書籍で心に残った文を最初に紹介したいと思います。
これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。 サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ
筆者は、対立していたキリスト教徒とイスラム教徒がそれぞれの金貨をさかんに通商に使っていた歴史的事実を紹介しながら、貨幣の相互信頼の制度を説明していきます。私ごとですが、最近日用品の買い物には、PayPayを多用するようになりました。縦線がならんだバーコードをかざすことで欲しい物を得ることができるしくみの根底に、私の口座から金銭が授受できることをソフトバンクが補償することによっての「相互信頼」があることを感じるようになりました。
初めに紹介した写真は、堺で出土した模鋳銭(堺で造ったもの)です。中世日本では貨幣は造られず、中国から輸入した宋銭(北宋時代に鋳造された銭)を使っていたというのが、定説でしたが、堺から出土した多数の銭鋳型がそれを揺るがしています。15世紀末周防国を領国としていた大内氏の禁制に「さかひ銭」ということばがでてくるのですが、堺で鋳造した銭が山口県で使われていたことを示しています。
堺で出土した模鋳銭で最も多かったのは、唐の時代に造られた開元通寶を模したものでしたが、銅銭を造るの型の八割以上が文字が記されていない無文銭だったのです。研究者は、以下のように記しています。「堺の銭貨生産の最終目的はこの無文銭の新規鋳造にあったと言っても決して過言ではなかろう。」(中世・堺で生産された銭 嶋谷和彦)

堺から見た西宮・神戸・武庫の山々 堺に富をもたらした海
堺は瀬戸内海の東のつきあたりに位置します。南に船を漕ぎだせば、紀淡海峡を越えて太平洋にもすぐに出られます。この海が堺に多くの文物をもたらしました。各地の情報、物品、技術、宗教、人そして富。つるんとして何も記されていない、唐・宋銭より少し小さな銭が「さかひ銭」として各地で使われたのは大きな富を持った堺というブランドへの信用だったのでしょうか。
流通させやすい模鋳銭だけでなく、わざわざとつるんとした銭を鋳造した人物には、堺の街で使えるという「相互信頼」があれば、銭に似たものでいいんじゃないかという一種の開き直りがあったのではないか、そんなことを思いながら、ガラスケースの向こうの模鋳銭を見ていました。


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