28 1566年堺のクリスマスとルイス・フロイス

堺をめぐる人々
クリスマス前 環濠都市堺にふさわしく濠を彩るイルミネーション

1566年 畿内をまとめていた三好長慶が亡くなって2年、将軍足利義輝が殺害された翌年、堺周辺は三好家の内紛で騒然としていました。6月には堺に逃げ込んだ松永久秀を敵対する三好三人衆が包囲し、堺の会合衆に引き渡しを要求する騒動が起きます。(参照8戦国堺をめぐる人々)その年の暮、堺で布教にあたっていたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、堺でのクリスマスの様子をこう綴っています。

降誕祭になった時、折から堺の市には敵対する二つの軍勢がおり、その中には大勢のキリシタンの武士が見受けられた。ところでキリシタンたちは、自分たちがどれほど仲が良く互いに愛し合っているかを異教徒たちによりよく示そうとして、司祭館は非常に小さかったので、そこの町内の人々に、住民が会合所にあてていた大広間を賃借したいと申し出た。その部屋は、降誕祭にふさわしく飾られ、聖夜には一同がそこに参集した。    完訳フロイス日本史

集会所を借りてクリスマス会とは、まるで子ども会のような感じですが、堺の住人たちはそのクリスマス会に興味深々だったようです。

祭壇の配置やそのすべての装飾を見ようとしてやってきたこの市の異教徒の群衆はおびただしく、彼らは中に侵入するために扉を壊さんばかりに思われた。

会合所に集った信者たちは互いに料理を持参してクリスマスを祝ったようです。それから四百有余年、2024年もクリスマスを迎えようとしています。

堺の教会では美しいイルミネーションを光らせていますが、敵味方のキリシタンが集う熱気は失せ、野次馬の住民もいず、静かなクリスマスを迎えられそうです。戦国の動乱の激しさは、武士だけではなく、この地に生きる人々の沸騰するような生きざまの反映であったのかもしれません。

戦国期の多くの日本人の民俗、社会状況、数々の事件を精細な報告としてまとめたルイス・フロイス。4年近くは堺で暮らし懸命に布教活動を行いました。彼の書いた日本史にも「朝から夜までほとんど聴聞者の来訪が絶える日もなく経過した。」と記しています。しかし堺の住民の反応は思わしくなく、「だが彼らはいずれも他郷の人々で、堺の市の人々ではなかった。」とも記しています。彼は布教に応じない堺の人々を「傲慢不遜」と非難しています。ある意味しっかりとした己を持っていた堺人への賛辞と言えるかもしれません。

51歳から「日本史」の執筆をスタートしたフロイスは、秀吉の発した「伴天連追放令」や「二十六聖人殉教事件」という宣教師として厳しい状況の中でも書き進めました。31歳で来日し、途中マカオに避難していた時期はあったが、65歳で長崎で亡くなるまで30年以上を日本の各地で過ごした彼の記録は、戦国期の日本を知る上でこの上ない一級資料です。しかし、現在フロイスの自筆の日本史は残っていません。フロイスは、自分のライフワークをローマに送ることを切望しましたが、あまりにも膨大な著作のため上司が許可せずマカオの倉庫に留め置かれ、挙句の果てに火災で焼失してしまったといわれています。現在「日本史」として残っているのは20世紀になってポルトガルやフランスで別々に偶然発見された写本をなんとかつなぎあわせて編纂したものです。フロイスの「日本史」への熱い思いがなんとか写本だけでも残すという奇跡を演出したのかもしれません。

フロイスが日本史の原稿の送付を切望したローマ・バチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂 2011年撮影

コメント

タイトルとURLをコピーしました