堺の街を自転車で走っていると、ビルに挟まれた発掘現場に出くわしました。今シーズン1番という寒風吹きすさぶ中、慎重に土を掘っている方の足元に大きな甕がのぞしています。思わずシャッターを切ったのが上の写真です。
堺の街は何度も大きな災害を経験しています。終戦直前の堺大空襲でも街が焼け野原になり多くの方が亡くなりましたが、1615年大坂夏の陣の直前にも、大坂方によって街全体を焼き払われました。戦国期から続いた堺の街は、その時焼失したのです。しかし、堺の先人たちは、街を再興していきました。
突然ですが、がんばれ!能登!応援していきます。
夏の陣の後、徳川政権によって焼け跡が埋められ、新しい町割りがなされ再興されたのが、現在の堺につながっていると言われています。
観光スポットであるさかい利晶の杜には、入口はいってすぐの壁に、この建物のすぐ近くの発掘現場からはぎ取った地層が展示されています。堺の街中のビルや道路の工事の際、よく発掘調査が行われています。私が遭遇したのもその現場の一つ、戦国堺は、土の中に眠っているのです。
堺といえば、千利休が生まれた街、出土品には、志野茶碗(右中段)や瀬戸茶入れ(下段左)、信楽水指(下段中)といった茶器や、中国(上段左)やベトナム(下段右)といった各国の輸入品もたくさん出土しているそうです。発掘されたある建物からは、外国製62個体、国産75個体の茶道具・懐石用と思われる陶磁器が発掘されています。(堺市博物館発行 平成18年度特別展 茶道具拝見より)
利休が活躍していた頃、堺の商人たちはあらそって店の裏の中庭に木々を植え、素朴で小さな茶室を建てたそうです。騒々しい街の中に隠れ家のような茶室、「市中の山居」で商人たちは、茶をたて、茶器を愛で、波頭を越えて遥々堺に運ばれてきた陶磁器を自慢しあっていたのかもしれません。彼らの黄金のかけらは、まだまだ土の中に眠っていることでしょう。


コメント
堺の街を自転車で走り回る。
楽しそうでいいですね〜
甕が土の中から出ている現場に遭遇するなんて
その目で見ていたからこそ、いいですね〜
戦国堺は土の中、ですか🤔
これからもどんな出会いが待っていることでしょう。楽しみな街走り、また聞かせてください
空飛ぶ宝石様
うれしいコメントありがとうございます。
できる限り、自分の目で見て、写真におさめ、自分なりに発信できればと
思っています。これからもよろしくお願いします。