堺の南北のメインストリート大道沿いの和菓子屋が実家だった与謝野晶子は、子どもの頃(明治20年代かな)の住吉まつり(参照19)の思い出をこう綴っています。
海辺の方ではもう地車の太鼓が鳴っている。横町を通る人の足音が常の十倍程もする。子供の声、甲高な女の声などがそれに交じって、朝湯に入っている私を、早く早くと急き立てるように聞こえた。 中略 「畳三畳敷位の蛸がなあ、砂の上を這ふてましたやらう、そうしたら傍に居た娘はんが、びっくりしやはって、「きやつ」と云やはりましたんだすぜ。」「ほんまだすか。」「ほんまだすとも、うはばみのやうな大きい(はも)もおましたで。」「まあ、いややこと。」井戸端で昨夜の夜市を見てきた女中が他の女中とこんな事を話している。 『郷土と趣味』昭和13年 7月号
住𠮷大社と堺の関係の深さは、前回(参照42)も書きましたが、鎌倉時代から続くという(何度か中断あり)大魚夜市は、住吉まつりの神事のひとつ、住吉大社から神輿が堺の宿院頓宮にやってくる「神輿渡御」の前日に行われます。通常は7月31日ですが、今年は、7月26日に旧堺港の隣の大浜公園で開催されました。
南海本線堺駅から人の波、大浜公園に入ると夜店が並び、歩くのも一苦労、日が落ちても下がらぬ気温とひと息で汗がしたたります。やっと公園中央にたどり着くと、ステージはライブ中、その奥には夜市のメイン魚セリの舞台が設けられていました。

大魚夜市 市民ステージ 2025

大魚夜市のセリ風景 2017年の様子
かつては大阪湾沿岸だけでなく、四国や九州からも漁船が集まり、宵から夜明けまで市が開かれたといいます。夜市では色々な魚が売られましたが、特に蛸は欠かせぬ物として「オハライ蛸」と言われ珍重されたそうです。そして、翌日神輿がやってきた日は、いろいろな魚料理が堺の家庭の食卓を彩ったのです。
先に紹介した文章(堺の出版社の雑誌に掲載されたもの)に続いて、晶子は少女だった頃の祭の日の心の浮きたちを色鮮やかに表しています。
白地の明石縮に着かへると、別家の娘が紅の絽襦珍の帯を矢の字に結んでくれた。店に行く廊下を通る時、大きい銀の薄のかんざしの鈴が鳴つた。菊菱の紋を白くぬいた水色の麻の幕から日が通って金の屏風にきらきらと光っていた。
鎌倉時代から始まったという大魚夜市、住吉まつりは平安時代にはすでに始まっていて、戦国期堺にいたイエズス会の宣教師もまつりの様子を詳しく記録しています。晶子の少女時代からでも百数十年の時が流れ、大魚夜市も住吉まつりも大きく変わりてきましたが、夜市を住吉まつりを盛り上げつなげていこうという心は今も健在です。今年の大魚夜市は、旧堺港から打ち上げられた盛大な花火が、押しかけた人々の心を彩りました。


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