奈良公園の奥に鎮座する春日大社には、約2000基の石灯籠がありその数は全国一だそうです。先日紅葉を楽しみながら参道沿いに歩いていると苔むした石灯籠の間から鹿が顔を出してサービスよろしくポーズをとってくれました。鎌倉時代後半から始まったという石灯籠の奉納、貴族や武士よりも圧倒的に商人を中心に庶民の奉納が多いとのこと、我が堺の商人魚屋弥次郎が1538年7月に奉納した石灯籠もその中の一つです。

春日大社の釣灯籠 16世紀からは釣灯籠の奉納も増えていく
屋号から、弥次郎は魚を商っていたようですが、実は春日大社にはそれ以前からたくさんの魚貝類が堺から運ばれていました。前にも触れましたが、堺は漁業の街でもあったのです。(参照42)南北朝時代、幕府が堺を南朝方とみなして魚貝の売買を停止させたことがありました。堺の魚が入らずに困った春日大社からその禁令の解除を嘆願する文書が残されています。

春日大社参拝 春日権現験記絵 中央公論社 続日本の絵巻
春日大社(隣接する興福寺と神仏融合で一体となっていました)との関係は単に魚だけではなく、室町期まで堺の周辺には興福寺の荘園がかなり存在していて色々な経済的な関係が築かれていたようです。例えば1483年に槫(皮のついた丸太)と高知産の板を堺の材木屋道久から購入したことが興福寺の記録に残されています。堺は材木の集積地だったようで(現在も材木町の町名が残っています)奈良だけでなく、京や周辺の寺院にも堺からの材木の購入記録が残っています。堺から丸太を何本も積んだ荷車を引いて奈良街道の暗峠(生駒山の南側、めっちゃきつい)を越えていったのでしょうか?坂を仰ぎ見るだけで当時運んだ人々のあえぐ姿と汗が見えるようです。

大阪側から仰ぎ見る暗峠と道標


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