41 医書大全と戦国期の医療

堺をめぐる人々
『名方類証医書大全』(京都大学付属図書館蔵)

始めの写真は、「医書大全」という1518年(北条早雲が亡くなる前年)に堺で翻刻(古文書・古典籍・石碑などに残された古い時代の文字を読み取り、活字化すること)された医書です。翻刻したのは阿佐井野宗端という堺の商人です。婦人科にも精通していたと言われていますが、何より日本最初の医書刊行者の栄誉を与えられています。当時の日本の医療は中国の書籍から学んだことがベースになっていて、この書籍も元は明の医師が書いた書物です。宗瑞は私財を費やしてこの医書を刊行したと言われています。野遠屋(のとや)が屋号ですので堺でも選りすぐりの豪商で宗瑞その人はどうかわかりませんが、親族の多くは堺の街の指針を決める会合衆(参照40)に選ばれていたと思われます。少し内容を見てみましょう。「医書大全」の写真の左側に「霍乱(熱中症・急性胃腸炎)を治す」という項があり、症状別に患者に与える薬が記載されています。

国宝『病草紙』(平安末~鎌倉始め)「霍乱の女」(国宝)京都国立博物館蔵

戦国期、戦乱を避け都から優秀な医師が堺に居を移しました。その中には明に留学した者もいました。代々その知識と技術を受け継いだ竹田家と半井(ならい)家が有名です。宗端もそうした医師たちの影響を受けたのかもしれません。また堺は明から漢方薬やその原材料が入ってくる貿易港でした。そうした恵まれた環境を意識したのか、松永久秀(参照 8)は、老いた母を病気療養のために堺に住まわせています。

医師(くすし) 七十一番職人歌合 前田育徳会所蔵

左の医師(いすし)の絵は狩衣姿で公家の略装を職業衣としています。1500年頃に成立したとされる職人を題材とした歌合という書物で描かれた姿です。堺で活躍した医師たちもこのような姿で診療にあたったのでしょうか。竹田家・半田家とも江戸時代には奥医師となった人物を輩出し医師の家系を明治まで維持しています。

丹波氏、和気氏を中心とした官医が主導する医療から室町期には多くの民間の医師が現れ、専門家していったと言われています。そのような医師のために宗瑞は「医書大全」を刊行しました。その流れは、曲直瀬道三がでることで秀吉・家康といった権力者とも結びつき江戸時代へとつながっていくのです。

江戸後期の書で医師に関して面白いことを述べている書を紹介したいと思います。「医は衣なり。衣服美ならざれば行われず。医は威也。威厳敬重なかざればあたわず。医は異也。異言、異体よく用いらる。医は夷也。ややもすれば人を夷(そこな)う。医は稲荷、よく尾を出さずして人を誑(たぶらか)す。」(了阿遺書)

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