前回に続いて春日大社&興福寺と堺の関係記録を見ていきたいと思います。興福寺に納める材木が堺から運ばれたことを前回記しましたが、この記録があるのは、「大乗院寺社雑事記」という応仁の乱前後の大乗院門跡尋尊の58年間にわたる日記です。尋尊は学者としても有名な関白一条兼良の息子で、興福寺の別当(長官)を務めました。尋尊は堺に関心が深くこの雑事記には折に触れて堺のことを書いています。また、堺出身の者を稚児・近習として使っています。

開口神社 かつては神宮寺があり今も大寺さんと呼ばれている

住𠮷祭の宿院頓宮境内
尋尊は、1489年(応仁の乱終結の12年後)堺に旅行をします。訪問先が興味深いので、彼の日記をのぞいてみましょう。
尋尊は十人ほどの供をつれて興福寺大乗院を出発し、京の方に向かい、石清水八幡宮に参詣した後、淀川を船で下り、天満橋付近で下りて、四天王寺・住吉大社と参詣して、堺に到着し、翌日の8月19日には以下のように書いています。
堺所々巡礼、大寺(開口神社)、宿院殿(宿院頓宮)、顕法寺(顕本寺か)、四条道場(今はない)、正法寺(中之町東4丁)、少林寺(少林寺町東3丁)、大船一見之、天神(菅原神社)、善丘寺、常行堂、指田掃門(部か 尋尊に仕えている稚児の父親堺在住)参申、見参、風呂在之

日蓮宗顕本寺 堺幕府の中心人物三好元長の墓がある
今でも堺を代表する寺社仏閣に九つも参拝し、港に行って「大船」を見学しています。この年遣明船の記録はないので、それ以外の大船が堺に停泊していたのでしょうか?

天神社とも呼ばれた菅原神社
また風呂(堺名物の潮湯?)にも入り、精力的に堺観光のスケジュールをこなしています。堺の潮湯は、有名で当時堺に来た別の貴族の日記にも湯浴みをしたことが記録されています。堺観光の定番だったのでしょう。
すっかり堺観光を楽しんだ尋尊一行は、翌日堺をたって長尾街道を行き、誉田八幡宮や道明寺、龍田大社、法隆寺と神社仏閣を回りながら21日夕刻には奈良に帰りついています。4泊5日の旅、60歳の尋尊さん、お元気にしっかりたくさんの名所を回られました。


コメント