5 華麗なる交遊録:天王寺屋会記

茶の湯の心
天王寺屋会記7冊 永島福太郎編 堺市立図書館蔵

 天王寺屋は、戦国堺を代表する豪商です。堺の市政の舵取りをしたといわれる会合衆(かいごうしゅう 10名いたといわれる)でもあったと言われています。津田姓を名乗り、その中でも宗及(そうぎゅう)は、信長・秀吉にも茶頭(ちゃじゅう)として仕えました。

 天王寺屋は、茶の湯を流行らせた中心的存在で、宗及の父宗達から3代にわたり39年間、茶会の日記ともいうべき『天王寺屋会記』を書き続けました。

 戦国期の堺は幾度も戦災をくぐり、当時の堺人が書いた記録はほとんど残されていませんが、この会記は、江戸期大名の手に渡り、自筆の物が残されました。それを影印本(写真印刷した本)にして解説書もつけたのが上の写真です。

(私の蔵書ではないので、写真で紹介するのもおこがましいですが・・・)

 宗及は、父宗達から引継いだ会記を21年間書き続けました。茶会の総会数は、1084会、延べ参加者数は、2488名におよぶそうです。(茶の湯コミュニティー 山田哲也・矢野環)

その中には、信長・秀吉はもちろん、明智光秀や徳川家康といった戦国のスーパースターたちもいます。堺が信長の圧力に屈し、2万貫(20億円くらいかな)の矢銭を支払う際、信長からの使者100名あまり(佐久間信盛・柴田勝家他)を自分の屋敷で接待したりしています。

 しかし、会記に名を記されたのは、もちろんそうした武士ばかりではありません。茶会に集った中心はあくまでも商人、やはり堺や近隣が多数ですが、西は、平戸・博多、北は越前、東は駿河まで、266名の人物が登場するそうです。(十六世紀における堺商人の商圏・文化圏の拡大 青柳勝)

 天王寺屋の茶の湯は、商売の上での必要な付き合いでもあったようです。

宗及他会記 右1569年1月11日 左1570年4月4日夜 油屋常宅方ニ イラスト:柑子(こうし)口

 上は、宗及の自筆、他会記とは、宗及が出かけていった茶会の記録です。(自分の茶室で開いた茶会は自会記と書き分けています)父親の宗達より細かい字で、丹念に使われた茶器や床の間に掛けられていた絵や文字などの詳しいメモ、左には古銅の花入れのスケッチまで残しています。

 1月11日には、茶会だけでなく、堺から出陣していった三好三人衆の軍勢(堺が信長に対抗するため支援していました)が京の桂川で敗れたため、堺の街をあげて戦準備をしている様子が書かれています。この会記は、戦国期を知るための貴重な資料でもあるのです。

堺の老舗八百源の「にっき餅」

 茶の湯の中心地となった堺には、美味しい和菓子もたくさん生まれました。最後に私の好きな「にっき餅」を紹介させてください。肉桂を練り込んだ柔らかい餅でこし餡を包んだ、程よい甘さとシナモンの香り、そして少しピリ辛なにっき独特の味は癖になります。

 昔は中国から輸入した肉桂を使った、貿易港堺にふさわしいこの餅も黄金の日々のかけら、かな。

コメント

  1. […] また茶人として信長・秀吉に仕え、親子三代にわたって茶会の記録を残しました。(参照:5 華麗なる交遊録:天王寺屋会記)今回は、宗及が信長の屋敷を訪ねた記録を紹介したいと思います。 […]

  2. […] 。 その様子を天王寺屋会記(5 華麗なる交遊録)ではこう記しています。 […]

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