2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の始めに明智光秀が松永久秀に堺で出会い、求めていた鉄砲を譲られるシーンがありました。この出会いはフィクションですが、二人は実際深い関係を持つことになります。場所が堺であったこと、鉄砲が介在したことなど二人を象徴したシーンであったように感じました。
松永久秀は堺の出身ではありません。有力な説では高槻市だと言われています。(摂津国五百住 JR摂津富田・阪急富田の近隣)最近まで戦国の三大梟雄(荒々しく残忍な首領)の一人とされ、下剋上の申し子のように扱われていました。
久秀は、織田信長が畿内に進出してくる前、畿内・四国十か国へ支配を広げた三好長慶を支える最有力家臣として活躍します。宣教師のルイス・フロイスは、「日本史」の中で彼のことをこう評しています。
弾正殿(久秀のこと)は、さして高い身分の者ではないのですが、その知力と手腕によって、自らは家臣であるにもかかわらず、公方様と三好殿(長慶の跡を継いだ養子義継)をいわば掌握してしまいました。すなわち彼ははなはだ巧妙、裕福、老獪でもありますので、公方様や三好殿は、彼が欲すること以外なにもなし得ないのです。しかも彼はデウスの教えの大いなる敵なのです。
久秀と堺の関係は、多方面にわたります。茶人として天王寺屋の茶会にも参加していますし(天王寺屋会記)、堺の豪商として知られた若狭屋とも深い関係があったようです。妻の菩提を弔う寺院を堺に建立し、母親の病気療養のために堺に住まわせたことなど、親族を含めて関係が深かったことがわかります。
三好長慶亡き後、三好家では内紛が起こります。1566年久秀は、堺近郊の戦で敗れ、堺に逃げ込み、当時奈良の僧侶が記した多門院日記に「行方不知」と書かれてしまいます。畿内一の実力者が姿をくらますという衝撃的な事件は、失踪から半年以上たって再び久秀が堺の街に姿を現したことで新たな展開をみせます。失踪中に敵方についていた主君(三好義継)を自陣営に取り込むという驚きの一手を打っていたのです。

久秀の拠点多門城址から、東大寺・若草山を望む
久秀が人を驚かす「活躍」はこれからが本番です。東大寺を焼いたり(戦闘中で敵方の三好三人衆が焼いたという説もある)、足利義昭を奉じて上洛した織田信長に大切にしていた茶入を贈り臣下についたり(上洛以前から信長とは連絡をとりあっていたようです)、極めつけは、二度信長に反逆を起こし、最後は、信長に求められていた茶釜に爆薬を仕込んで、爆死したという伝説もあります。実際は、爆死ではなかったとのですが、三好長慶の息子を毒殺しただの、讒言で長慶に弟を殺させただの、江戸時代には、稀代のはでな悪人(梟雄)とされてしまった久秀ですが、実際、自分を拾い上げてくれた三好長慶とその跡を継いだ義継には忠臣として仕えていたようです。
既に家督を息子に譲った後、59歳(かぞえ年)という高齢で戦に敗れ、堺で姿をくらました久秀。姿を現してからも今まで以上に戦続きの日々を送ることになります。信長の下につき、最後には反逆の兵をあげ、奈良と大阪の境にある信貴山城で最後を迎えたのは70歳の時でした。
大和盆地を見下ろす信貴山城の中で、修羅の半生を彼はどう振り返ったのでしょうか。

信貴山城址から大和盆地を望む


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