16 茶の湯の心

東洋陶器美術館蔵 国宝油滴天目茶碗 茶の湯の心
 国宝 油滴天目茶碗  東洋陶磁美術館蔵

国宝の油滴天目茶碗です。美術館の展示の仕方もあるのでしょうが、黒い宝石のような輝き、のぞき込むとまるでブラックホールに吸い込まれていくような感覚を味わいました。宋代の中国で焼かれ、鎌倉時代以降に日本に運ばれてきたものと言われています。こうした宝石のような輸入茶器が珍重された室町時代の茶を変革したのが、武野紹鴎・千利休といった堺の茶人たちでした。

発掘された志野茶碗 堺市文化財課蔵

左は堺から出土した志野茶碗です。戦国期堺の茶人たちは、わび・さびという観点から新しい美意識にあった陶磁器を使い始めます。(華やかな輸入物も併用しながら)社会が落ち着きはじめた安土桃山期の地層からはたくさんの茶器が出土するとのこと、茶の湯が富豪の茶人からその下の層にまで拡がっていったのが発掘からわかっています。(3 戦国堺は土の中 参照)

当時キリスト教の布教のために日本で活発に活動したイエズス会の通辞ジョアン・ロドリゲスは茶の湯に関してこんな記述を残しています。

数寄(suky)と呼ばれるこの新しい茶の湯様式は、有名で裕福な堺の都市にはじまった。中略 場所が狭いためやむを得ず当初のものよりは小さい形の小家を造るようになったが、それは、この都市がまったく爽やかさのない干からびた海浜の一平原に位置しており、中略 堺のある人たちは、幾本かの小さな樹木をわざわざ植えて、それに囲まれた、小さい別の形で茶の家を造った。狭い地所の許す限り、田園にある一軒家の様式をあらわすか、人里離れて住む隠遁者の草庵を真似るかして、自然の事象やその第一義を観照することに専念していた。                        日本教会史 大航海時代叢書Ⅸ P.605~7

1568年9月の堺を想定復元した模型 (縮尺1/25)    大阪歴史博物館蔵             狭い庭に植えこみが再現されている

15歳で来日し三十余年を日本で過ごしたポルトガル人の目に映った堺の茶の湯、ロドリゲスは、茶の湯の精神にかなり引かれていたのか、イエズス会自体が、日本人をもてなす必要を感じて研究させたのか、茶葉の種類から茶会の進め方、その精神性にまでかなりのページをさいています。これを読んで、森下典子さんの作品の一節を思い出しました。筆者の森下典子さんは、お茶の稽古中に大雨が降り、その雨音の中で一種の啓示を受けます。

雨は、降りしきっていた。私は息づまるような感動の中に座っていた。雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。お茶とは、そういう「生き方」なのだ。        日日是好日(にちにちこれこうじつ) 森下典子著     黒木華さん主演で映画化もされました

「自然の事象やその第一義を観照する」ロドリゲスが茶の湯に見た堺の茶人たちの精神は、脈々と現代に引き継がれているようです。

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