堺人

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51 堺 春日大社と興福寺 1

奈良公園の奥に鎮座する春日大社には、約2000基の石灯籠がありその数は全国一だそうです。先日紅葉を楽しみながら参道沿いに歩いていると苔むした石灯籠の間から鹿が顔を出してサービスよろしくポーズをとってくれました。鎌倉時代後半から始まったという...
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49 黄金の日日堺 港に沈んだ信仰心

最初の絵はモンタヌスというオランダ人が1669年に出版した「日本誌」で紹介されている堺の港です。モンタヌスは日本に来たことがありませんでしたが、イエズス会士の報告やオランダ使節の江戸参府紀行などをもとに書きました。この「日本誌」が当時画期的...
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46 黄金のお好み焼きとくるみ餅

前回、前々回と堺の「住と維」を取り上げたので今回は「食」を少し見ていきたいと思います。今や大阪のソールフードから全国区にまで広まったお好み焼きのルーツをご存じでしょうか?諸説ありますが、茶菓子として提供された「ふのやき」から進化したという説...
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32 今井宗久 新興の政商としての生き方

天下三宗匠(そうしょう)という言葉があります。宗匠とは、和歌や俳句、華道や茶道の師匠のことで、ここでは安土桃山時代に茶の湯の師匠として活躍した、千利休・津田(天王寺屋)宗及・今井宗久をさします。三人とも堺の商人ですが、利休と宗及(そうぎゅう...
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26 津田宗及と織田信長

津田宗及は堺の豪商、天王寺屋の屋号で堺の会合衆(かいごうしゅう)として街の指針を決めていた人物です。また茶人として信長・秀吉に仕え、親子三代にわたって茶会の記録を残しました。(参照:5 華麗なる交遊録:天王寺屋会記)今回は、宗及が信長の屋敷...
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13 顕本寺と墓所にする二人

前回のブログで妙國寺を取り上げたので、今回は同じ日蓮宗の顕本寺を取り上げたいと思います。顕本寺は、応仁の乱が起こる前、堺の商人たちが寄進して堺の中心部に創建されました。妙國寺ができる111年前のことです。動乱の戦国期、塔頭(本寺の中に子寺)...